「ふかうら」開店
「ふかうら」開店
こ~いちの両親が佐世保市の市役所近くに 店を構えたのは、いつごろだっただろう。
あまり覚えていないが、多分こ~いちが 小学校にあがってそう時間がたってない時じゃなかっただろうか。
当時は同居していた叔父が、子どもたちの相手をしていたので 実質めちゃくちゃ不自由だったということはなかっただろうが、
それでも幼い兄弟には、両親が夜居ないというのは、 かなり心細かったのではないかと思う。
特にこ~いちくんは当時から責任感の強いヤツだったから、
甘えん坊のけ~じの世話をし、気丈に頑張っていた。
私たちは福岡に住んでいたので、盆正月の帰省のときにしか会えなかったが、
そんな時に遊びにいくと、け~じの世話をこまごまと焼くこ~いちに、
感心しながらも、ちょっとだけ 「大丈夫かな。頑張りすぎてないかな」なんて思った記憶がある。
というのは、やっぱ3歳くらいの時の甘えんぼうのこ~いちが 私の記憶に強烈に残っているからなのかも。
だから、今も、すごい大先生になってるけど、
「こ~いち、大丈夫かなぁ」なんて、思ってしまっちゃったりする。
要らんおせっかいだろうけどね~。
話はお店に戻るけど、
この店はおじちゃんの夢だった、と私は聞いている。
おじちゃん=こ~いちの父 は、当時職を転々として、
自分の道を模索していたようだ。
佐世保を離れて県外への引越しもあったけど、
こ~いちは覚えてないかもしれないな。
うちの母は、妹の暮らしがどうなることかとひやひやしていたようだが、
彼らが、どうにか地元に戻ってお店を構えたことで、安心したようだ。
おじちゃんも頑張ったけど、それを支えた、け~こおばちゃん(=こ~いちの母)もかなりえらかったと思う。
今はもうないけど(現地で他の方が名前引き続きでなさっているようです)
焼き鳥にすりみ揚げに玉子焼き! (これは私がいつもおねだりしておじちゃんに作ってもらってたんです) また食べたいなぁ。
私にとっては「ふかうら」は楽しい別世界でもあったけど、
こ~いち、け~じにはまた全然違うものだったんだろうな。
「ふかうら」については、また機会をみて書いてみよう。
全部思いを書くと、かなりの長文になってしまいそうなので。
つづく。
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